今や枕の上に無駄な夢はなし、大きな梅の花も小さな梅の花も同じ香りがする

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今日は霊隠寺に行きました。何かを求めていたわけではなく、ただ散歩したかっただけです。静かな朝を見つけて、寺院内をゆっくり散歩しようと思っていたのですが、6時半に寺院に到着すると、すでにたくさんの人がいました。皆それぞれ思いにふけり、真剣にお香を供えてお祈りをしていました。今回は、ただ写真を数枚撮って、少し散歩し、その後は忙しい用事に取り掛かろうと思っていました。

iNote-霊隠寺、杭州

山門を通ると、ボランティアの方々がテーブルを並べていました。一つのテーブルには三本のお香が置かれており、別のテーブルには無料で配布される新鮮な花束がありました。おそらく、4月8日の浴仏節の残りのものと思われます。

5月の杭州は初夏の兆しがあり、寺院内の杉の木やクスノキは緑が深く、寺院がその中に隠れています。少し活気を感じさせる風景です。朝の大雄宝殿、薬師殿、華厳殿は相変わらず忙しく、ボランティアが掃除をして、居士たちはお香やろうそくを準備し、信者たちは手を合わせて三周して回ったり、平安を祈って膝をついて頭を下げていました。

iNote-霊隠寺、杭州

寺院を訪れるときは、よく掲額や扁額に注目します。今回、大雄宝殿で「法輪常転」や「仏日増輝」、華厳殿へ向かう階段のところで「静観鐘妙」などを見つけました。中国の仏教は仏教と中国文化の融合の結果です。漢字で仏典の禅意を表現することには、言葉で説明しきれない多くの深い意味が込められています。時には、仏門の人々が直接的な言葉で深遠な道理を簡潔に説明することがあります。これが「突然の悟り」と「禅」ですね。「昔、悟りを開く前は、一声の号角、一声の悲しみだった。今や、枕の上には無駄な夢はなく、大きな梅の花も小さな梅の花も同じ香りがする。」 「心が乱れると、人、物事、物をその本質で見ることができません。常に自己制御を保つことで、外的な誘惑や欲望に惑わされることなく生きることができます。」 「人生は元々夢であり、死後に万事の虚しさを感じます。心に抱くものがあれば、すべてを手放せず、欲望に駆られます。心が無であれば、禅を修行し、定慧の二つを収めることができます。」

寺院内を散策しながら、これらの賢者の言葉を読み、心に沁みました。

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公開日 2025-05-07, 更新日 2025-05-11