杭州、潮流の先端に立つ
川沿いの発展
杭州は、北京、広州に続いて、アジア大会を開催する国内で3番目の都市となりました。アジア大会はアジア最大のスポーツイベントであり、その開催能力は、杭州が大規模なイベントを開催する力を持っていることを示しています。これには、大規模なスタジアムの建設、イベント運営、後方支援、イベント中の住民生活の保障などが含まれます。杭州は、大規模なイベントの開催を通じて、都市運営能力を更新し向上させました。
さらに重要な点は、大規模なスポーツイベントは、G20のような政治イベントとは異なるということです。スポーツイベントは、さまざまな競技場を必要とし、競技場の建設を通じて、それらの競技場がランドマークとなり、都市の発展のレイアウトを確立することができます。杭州を例にとると、多くの人々が杭州は西に向かって発展していると考えていましたが、実際には、2016年のG20と2023年のアジア大会はどちらも銭塘江沿いで行われ、つまり杭州は川沿いの発展を継続しています。銭塘江は杭州湾に通じており、杭州は川沿いの発展を通じて外に広がることができます。
西湖
10年前、杭州は観光都市でした。古い杭州のすべては西湖を中心に展開していました。南宋時代の臨安城は西湖のそばの鳳凰山の後ろに建てられ、康熙帝は六度も南に訪れ、そのたびに西湖を訪れました。毛沢東も杭州を第二の故郷としていました。西湖は杭州の魂であり、杭州も西湖を有名にしました。中国には多くの西湖がありますが、杭州の西湖が最も有名です。
杭州の西湖が有名なのは、その湖だけでなく、西湖の周りの山々にもあります。西湖の無形文化遺産には、西湖周辺の山々も含まれています。湖は杭州の血脈であり、山はその骨格です。湖の動きと山の安定が、杭州の魂を形成しています。
かつて、西湖は都市の汚水の排出によって深刻に汚染されていましたが、1990年代に杭州市政府は、中国交通疏浚グループを雇い、西湖全体の浚渫を行いました。浚渫された西湖の底泥は、鳳凰山の後ろに積み上げられ、現在の江洋畈公園となりました。その後、ここには杭帮菜博物館も建設されました。現在、西湖の水は主に龍弘涧などの山間からの雨水や、地下パイプを通じて引き込まれる銭塘江の水で維持されています。
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